羽生選手の事故をかっこいいってどういうこと?
フィギュア中国GPでの羽生くんの衝突シーンをたまたまリアルタイムにTVで見てた。
頭を怪我しながらも公開練習を続行し、競技にも挑み結果的に2位を獲得。
いろいろ感じることはあったが、次の日は予想通りメディアを筆頭に賛否両論の嵐。
脳震盪を起こしながら試合を続行させることの危険性、大会側の対応の悪さなどなど。
でもね、生でTV見てた時も棄権すべきと思ってたけど、実際に怪我をしながらも試合に挑んだ羽生くん、なんと言うか、滅多にお目にかかれない凜とした意気込みと覚悟があって、その瞬間恐らく世界で最も格好良かったのだ。
こういう格好良さはオリンピックでも見ることがあるが、一体どこから来る格好良さなのだろうか?
そもそもフィギュアスケートは「魅せる」ことを主軸にしたスポーツだが、同じようなスポーツはいくつかあって、その中で自分はスノーボードやスケートボードがとても好きだ。
これらのスポーツはまさに「滑る」ので、バランスがとても重要。練習を重ねることで、より難しい場所をより早いスピードで滑れるようになる。
しかし、それは逆に言うと常に難しい環境にチャレンジしないと、上手くなれないということでもあり、転んだ先が氷だったりアスファルトだったり崖だったりする環境は、チャレンジして失敗した場合、怪我につながることを意味する。
しかも、ある程度以上のレベルを超えると、失敗の怪我で半身不随になったり、最悪死んでしまうこともある。
普通の人なら、これを「リスク」と考え、ある程度のレベルでチャレンジを止めるか、全身プロテクターに身を包んだりする。
ビジネス用語で言うところの「リスクヘッジ」というやつだ。
しかし、そのリスクを取ってでも「上手くなりたい!!」という気持ちが強い人もいて、失敗すれば半身不随かもしれないが、成功すれば誰がどう見ても「めっちゃかっこいい!!」というプレイができる。
仮にこれがビジネスであれば、かっこいいプレイができるなんて関係なく、全身プロテクターがダサかろうが、ルールで少しばかりズルしようが、お金を儲けた人が勝ちである。
でも、「魅せる」ことで勝負するスポーツはそうはいかない。
将来的なこと、身体のこと、危険を冒すことでリスクが生じても、その先にあるものを求める限り、止めないだろう。
日本でのフィギュアスケートはビジネス的な側面が多々あるから、どうしても大人の理論を持ち込み気味だ。
しかし、選手(特に若い選手)にとっては、日々の練習がまさにチャレンジと怪我の戦いのはず。今回の衝突事故は果たして彼ら本人に大きな怪我という認識があったのか。
決して過保護だとは思わないが、堅い氷の上でヘルメットも無しに4回転するフィギュアスケートは、立派なエクストリームスポーツだ。
プレイヤーが命を賭けることが当然のスポーツ種目に対して、脳震盪があーだこーだうるせーなーと、少しだけ思う。(少しだけね)
そして、逆にビジネスやってる人(サラリーマン含む)が、もし自分の仕事にリスクを感じており、生命を脅かされる状況なら、そんな仕事は即刻辞めた方がいいと思う。
ビジネスはゲームでしかないのだから、命をかける対象は選んだ方がいい。
しかし、今回の事故がオリンピックの決勝前に起こったら、羽生くんが棄権すればバッシングの種になっただろうし、競技続行すれば「怪我に耐えて銀メダル」という感動の美談になっただろうと思ったりする。(怪我した膝に麻酔を打って試合に挑んだ柔道の山下選手や古賀選手のように)